RAPにできないラッパーの本音 by ゆうま

MCバトル練習会ゆうまーるBP主催者&参加者募集中/東大の大学院生/YouTuber1年生/演劇とRAP/世界最大エビフライ食べたい/twitter @yuma_k_0712

大学院って、ぶっちゃけどんなとこ?(後半)

コンニチハ!
大学院生ラッパーの、ひらがなで、ゆうまデス。

今回は、ラッパーであり大学院生のワタクシの経験にもとづいてお話する、

「大学院って、ぶっちゃけどんなとこ?」の後半デス。

前半を読まれていない方は、こちらを先にお読みいただいた方が、話がよくわかるかと思いマス☆


「前半読むのメンドクセェ!」という方のために、前半の簡単なマトメを載せておきマス。

【*前半のマトメ】
・大学院での生活は、大学での生活とかなり違う!
・大学院生は、生活のほぼ全ての時間を研究にあてることになる!アルバイトをする時間さえ十分にとれないし、休みがない。
・次のような理由で大学院に進学するとイタイ目を見る
例: 「社会人になるのを先延ばし」「就活の再トライ」「華のキャンパスライフを続けたい」「他にやりたいこと(音楽とか)がある」
・大学院(修士)は、基本、2年間で修了。就職を考えてるなら、入学して9ヶ月後に、就活が始まる。論文を書きながらの就職はかなりつらい。
・社会人の友人にそんな悩みを理解してもらうのは難しい
・大学院は、本気で研究が好きで、研究したい人にとっては、最高の場所。大学院に通えるのは贅沢なことである。

コンナカンジ...?


【*それではココカラ本編へ】

前半を読んでいただくと、「大学院ってたいへんだな」などのネガティヴな印象を受けたかもシレナイ。

「じゃあお前はどーなんだ!?
何だよ大学院生ラッパーって!?」 

と怒りを覚えたかもシレナイ!

今回は、ワタクシ個人の経験を、
具体的にデキルダケ包み隠さず、お話したいと思います。

《コンナカンジ》
2007年 法政大学 入学
2011年 法政大学卒業/法政大学大学院(修士)入学
2013年 法政大学大学院(修士)修了/東京大学大学院(研究生)
2014年 東京大学大学院(修士)入学 
2016年 東京大学大学院(修士)修了/東京大学大学院(博士)入学 

そして、今に至る


よく、「学校行き過ぎです!」
とツッコマレます!

ほんとその通りであります。
行き過ぎです。
じゃあ何で、こんなことになったのでしょうか?

これから、ゆっくりとお話ししたいと思います。



1.なぜ大学院に進学したのか?

2010年、大学3年生の12月から4年生の春までの間。

この前まで、授業をサボって遊んでばかりいたような大学の同級生たちのほとんどが、

一斉に髪の毛を黒く染め、スーツを身に付け就職活動を始めた...

この前まで、仲間同士の話題の中心は、恋バナとかくだらない内容だったのに、

急にみんな「自分に合った会社とは何なのか?」とか就活情報を交換し合ったり、お互いに「自己分析」をやり出して、

「ねえ、私って客観的にみるとどんな風に見える?」とか
「○○ちゃんの強みは〜」みたいな会話ばかりになった。


そんな状況を見ていて、ワタシは、理解ができなかったのです。

なぜ、あれだけ個性豊かな彼らが、
全く同じタイミングで、
「みんなおんなじ」になってしまうのか...?

当時もワタシは、
RAPのことばかり考えており
夢見がちなワタシは、
当然RAPでお金を稼いで食っていくのだと思っていました。

(2016年現在に比べると、2010年もしくはそれ以前は、ラッパーにとって”就職する”という選択肢は、今ほど一般的ではなかったように思われます。当時、就職することは夢をあきらめることに近い...そんな風潮が少々あったように思われます。勘違いかもしれませんが。)

一方、ワタシは、きちんとRAPを始めた2007年以来、自分がRAPをするうえで、リリック(歌詞)を書く、エネルギーになっていたものがありました。

哲学(あるいは倫理学)です。

ワタシはこう見えて、悩むことが多かったのです。

例えば2007年、大学1年生のとき、
引っ込み思案だった高校時代の自分を変えたくて、

”明るいキャラ”を作ったりして、
みんなに好かれようと努力したり、仲間を増やそうとしてみたり...

いわゆる”自己演出”している、
自分を偽っている、
そんな自分に疲れていました。

そんなときに出会ったのが、

ある先生の倫理学(そして哲学)の授業です。

その先生の授業を聞くと、
「自分とは何なのか」という問題は、
ワタシが悩んでるものよりも、
もっともっと広い問題であると同時に、
くよくよ悩むものじゃなく、
考えると面白いものなんだと思うようになりました。

その先生の授業を聞いて、哲学的・倫理学的な問題を考えさせられるたびに、

RAPのリリックがどんどん生まれてきました。

このようにして、
哲学や倫理学を学べば学ぶほど、

RAPも、人間関係もうまくいくようになっていったのです。

その後も、その先生の授業に出続け、

2010年、大学3年生のときにその先生のゼミに入りました。

さすが、その先生のゼミで、

先生はもちろんゼミ生も皆、個性的。

「大学3年で就活するのは当たり前」みたいな大多数の大学生の常識と比べると、ゼミの雰囲気はかなり異なっていました。

ちなみにそのゼミの卒業生には、
ワタシにとっては憧れの存在であるDef TechのMicroさんがいらしたり、

シンガーのAIさんを世に売り出したマネージャーさんがいたり、

ゼミ合宿中にニューヨークで911を経験されている方々がいたり、

船で世界一周する人がいたり、

女性の自慰行為の意義について卒論を書いてしまったり、

300人の老若男女にキリンの絵を描いてもらってアート作品を作ったり、

アートを仕事にされている方がいたり

そしてもちろん大学院生もいらしたり...

ふだん関わっていた仲間たちからは学べなかったような価値観に、次々と触れることになりました(もちろん、そういうなかで就職されてご活躍されている卒業生もいらっしゃいます)。

そしてこんなゼミを10年近く続けてきた先生は
一体何者なんだ、

ゼミに入ってたったの2年で終わりにするのはもったいない。
もっともっとこの先生に学びたい

そう思い、ワタシは先生に聞いたのです。

「先生、大学院ってどんなところですか?」と。

2.どんなことを研究?

ワタシのもともとの問題意識は、先ほど書いたように、

「大学生にとっての就職活動・進路問題」にありました。  

当時の僕は、こんなことを考えてました。

”別に会社に就職しなくたって、
契約社員やアルバイトでも十分生活はできる。

会社に就職すると、
満員列車に乗って朝から晩まで働き、睡眠時間も確保できないかもしれない..

会社に就職すると、やりたいこともできないかもしれない。

それなのに、なぜみんな、
大学3年生のが後半になると、

一斉に就職活動をするのだろう?

就活をしてる大学生の多くは、何だか自分を偽ってる感じがする。

ほんとにやりたいの?

みんな、「自分の意志で」決めてることなの?

それとも、周りに流されてしまってるだけなの?

でも、周りに流されたとしても、一応「自分の意志で」決めてるのかな?

自分の意志で決めるって何だろ?

自由って何だろ?

われわれは自由なのかな?

いろんなことを自分の意志で決めてるように見えて、実は周りの目を気にしていたり、親や先生や、会社の上司や...いろんなものに自分の意志を邪魔されてないかな?

自分で決めるって何だろ?自分で決めるってほんとにできるのか?”

そんなことを先生に話してみたところ、

なんといっても面白かったのは、

当時、ワタシが考えていたことが、

哲学的に、しかも大学院で研究できるテーマだった、ということです。

哲学的には、こうした問題は、

”行為の哲学”において、
そして”自由意思の問題”として、

きちんと研究されていることなのだと。

このようにして、

ワタシは、

大学院に進学し、哲学を研究することを決めました。

しかし、ここまではまだ前置き。

2011年4月、いよいよ、
大学院に入学することになります。


3.RAPの方はどうなったのか?

ここまで研究に対する熱を書いてきましたが、

ここまで、ある「フリ」をしてきました。

RAPで食うつもりなんだろ?

それはどうした?

...というやつです。

実は、それはそれで動いてたんです。

大学院に入学する少し前の話をしましょう。

2011年の1月23日(つまり大学4年生の後半の後半に)

ワタシの1stソロアルバム『自称、全国の大学生を代表するRAP』を発売し、

同日、渋谷familyというクラブでワンマンライブをやったんです。

RAP自体は2007年(2006年?)から始めており、ライブもイベントの主催もめっちゃやっていたのですが、

ソロとしてのアルバム発売、
そして、
ワンマンというのは一つの目標。

しかもこの日のワンマンは、会場が満員になるほどの盛況でした。

時間はかかりましたが、ここでようやく、スタート地点に経ったなぁという感じでした。

そして、「まだまだいける!」自分の夢に向かって、確実に前に進んでいると思いました。

さらには、恥を忍んでいえば、次のような勘違いをしていました。

この後、大学院、2年間があれば、

2年後には、RAPで成功した状態で、

大学院を修了し、RAPをやって生きていける!

しかし、大学院に入学すると、それは大きな勘違いだったことに気づきます。


4.大学院での生活と、「RAPする時間がない」問題

2011年4月、大学院に入学。

ここで、ブログの前半を読んでもらえればわかる通り...

大学と大学院の厳しさの違いに打ちのめされます。

一つひとつの授業が重くて...
授業準備、課題、発表、議論...

そして時間的にも知識的にも授業についていくのがやっとのなか。

しかも、それとは別に自分の研究を進めて論文を書かなければなりません。

確かあのとき授業は、
週5コマ。

一見、それほど多くないように見えますが、
それぞれの授業の先生から毎週、 
数十ページの論文を渡され、
それを読まなければならず(しかも”ただ読む”だけではなく、”読んでわかる”ようにするために、また別の論文を読むという作業があります)

しかも、毎週のように発表がある。

さらにワタシは、当時2つのアルバイトを掛け持ちしており、

朝〜夕(飲食店のアルバイト)→夕〜夜(大学院の授業)→夜(スーツに着替え、教育現場のアルバイト)→深夜帰宅

こんな生活でした。

授業がないときはアルバイトに追われており、
授業の準備がゆっくりできる時のほうが珍しい、という感じです。


授業の準備や、研究、論文を読む作業は、
電車での移動時間を全て使って、
アルバイトの休憩時間も使って
睡眠時間を削って、
そんな感じでした。そうでないと授業に間に合わない。

しかも、授業に出るたびに、
自分の知識のなさを嫌というほど思い知らされ、恥をかいてばかり。


そんな感じで、最初の2ヶ月半は、
一日も「休み」がありませんでした。

RAPどころではない。

あんなにやりまくっていたライブも、よく出ていたMCバトルも、お休みし、

とにかく大学院とアルバイト中心の生活になりました。

とはいえ、

電車を待ってる時間とかに、
形にならなくてもリリックの断片を
何とか書いたりはしてましたが...

よくない精神状態のまま書いたものばかりのために、ほぼボツになりました。


今でも覚えてるのは、大学院1年生の6月のある日。

2ヶ月半ぶりに「1日中休み」の日ができました。

その日は「1日、自分のために使おう」と決め、1人で桜木町で映画を観たあと買い物をして、温泉につかり、原宿に移動して髪を切り、友達と飲んだあと先輩と飲む、という、1日に、2ヶ月半やりたかったことを全て詰めました。

あのとき、桜木町の高い青空を見上げ、

今の自分の姿を振り返り、感傷的な気持ちになったりもしました。

大学院に進んでしまった、でも、RAPをやりたい。


5.それでも、RAPをやりたい

ラッパーとして久々にステージに立ったのは、
5ヶ月後の、2011年の大学院 修士1年生の9月、UMB埼玉予選でした。

この日のバトルは23:00-5:00の深夜イベントで、
翌日は早朝6:30から、ゼミの合宿があることもわかっていたので、
なかなかキツイだろうなぁとは思っていたのですが、

5ヶ月間、マイクを握る我慢をしており、とにかくRAPをしたかったので出場!

当然、練習などする時間はありませんでした。

しかし、その結果、64人中、ベスト8まで勝ち進むという、当時の僕としては自己ベストを残すことができました。(ちなみに、準々決勝であたったのは、後の全国チャンプ、崇勲さんでした。)

ベスト8まで勝ち進むと、UMBのアプリから動画配信されることもわかっていたので(しかも動画配信されること、これは2007年から4年間の夢だったので)なおさら嬉しかったのです。
当時は今と違って、YouTubeにMCバトルの動画配信がされることもほとんどなく、UMBのアプリに自分の動画が出ることは、ラッパーにとって大きな活躍のチャンスでした。

大学院の生活に追われて全然RAPできてなかったけれど、このときあらためて、自分はラッパーなんだと、RAPをやりたいんだと、思うようになりました。

その後、不思議なもので、大学院の生活にも半年いれば慣れてきて、あれだけ多忙ななかでも、「時間をつくること」ができるようになってきました。

そして、隙間を見つけては、2ndアルバムに向けたレコーディングをしたり、ライブをしたりするようになります。

大学院の友人には、「よくそんなに時間があるね」「よくあれもこれもできるね」と感心(?)されていましたが、不思議なものです。

どんなに多忙な状況でも、一度生活のなかであることを習慣にすると、

身体は自然に動くようになります。

「朝起きて、歯を磨く、顔を洗う」これをしないと何だか気持ち悪いように、

電車の行き帰りで論文を読む
暇さえあれば論文を読む
アルバイトに行く
という習慣に加え、

隙間の時間でRAPをする
隙間の時間を前もって作ってRAPをする

そんなことが習慣になっていったのです。

翌年の大学院 修士2年生のときには、
修士論文を書きながらも、

ライブコンテストに出てみたり、
イベントの主催をしたり、
そしてMCバトルに出場したり(UMB横浜予選ではベスト8でした)

アルバイト、研究、そしてRAPがうまく両立できるようになっていたのです。


6.卒業後の進路をどうするか?

とはいえ、大学院(修士課程)は、たったの2年間。
入学から1年経たない時点で、修了(卒業)後の進路をある程度決めておかなければなりません。

就活するか、
それとも、博士課程に進むか?

前半やここまでに書いたように、大学院生はそれなりの大変さがあります。

本気で研究が好きでないと、大学院にいても何も面白くない。

ましてや、博士課程に進むというのは、人生をかけて研究するということです。

僕の同級生は、そうした理由から、基本的には就活の道を選んでいました。

それに対し僕は、大学院のさらにその上、
「博士課程に進みたい」そう思っていたのです。

研究は楽しいし、
やればやるほど、自分の血や骨、活力となっていました。

何より、今のままうまくやっていけば、RAPができそうだ。

大学院修士の2年間のうちにRAPで成功して、生活するというのは、1年目に生活に慣れないためにうまく時間を作れなかったけど、

今の自分なら、博士課程に進みながら、RAPで成功をつかむことはできるんじゃないか?

こうして、このまま、法政大学 大学院の博士課程に進むつもりで、就活をせずRAPをしながら、修士論文を書き

2013年1月前半に、修士論文を提出しました。
60000字の論文を書いて、書き直して...その作業は当然、楽ではありませんでしたが、書き終えたときには確かな喜び、達成感がありました。

この後1月後半には、博士課程進学のための入試もある、頑張ろう...そう思っていました。


そんな修士論文を提出した日の夜のことです。 

(先に書いたように)僕が大学生のときに、哲学の楽しさを教えてくださった、これまで尊敬し、教えを受けていた、ゼミの先生から、厳しい一言が待っていました。

修士課程と博士課程は、全く違う」

「今のままでは、博士課程に進めない」
 
「君の研究は、博士課程で私が面倒を見られるテーマではない」

2013年1月のことです。
そのまま博士課程に進めると思っていたワタシ、目の前が真っ暗になりました。

その後、先生と話してみると...
こういうことです。

ワタシは「大学生の進路問題」をきっかけに、この2年間、”行為の哲学”、さらには''心の哲学”という分野を研究してきました。

先生としては、ワタシに、修士課程で「自分のやりたい研究をやってほしかった」。しかし”行為の哲学”や”心の哲学''は、哲学とはいえ、先生の本当の専門分野ではない。

もちろん、修士課程ならば、こういった研究の面倒を見ることはできた。でも、博士課程にもなると、先生の本当の専門分野ではない研究面倒を見ることはできない。

「これからも”行為の哲学”や''心の哲学”をやりたいならば、別の大学院の、別の先生のところに行きなさい。私のもとで学びたいならば、私の専門に、研究テーマを変えなければならない。」

「でも、研究テーマを変えるとなると、この2年間勉強してきたこととは全く別のテーマの内容をイチから学び直さなければならなくなる。その別の内容を何も知らない今の状況で、博士課程に進学することは難しいのではないか?」

「それでも、私の下で、博士課程に進む覚悟があるのか?」

「今までの研究テーマを変える気がないなら、別の大学院の別の先生のところに行きなさい。」

悩みました。
とにかく悩みました。

ワタシに哲学の面白さを、
さらには物の見方や考え方を、教えてくれたのは先生でした。

大学三年生のときに、一斉に就活をしていく仲間たちを横目に、彼らのことが理解できず、

そんなワタシの価値観を受け入れてくれたのが、先生のゼミでした。

この先生についていきたい、と思っていました。

この二年間、先生の下で研究するのも本気で楽しく、毎週、先生の授業が楽しみで仕方なかったのです。

一方で、「自分の研究テーマも捨てられない」。もちろん、この研究テーマを紹介してくれたのは先生です。このテーマで論文を書くことができたのも先生のおかげです。研究は本を読んで論文を書く、孤独な作業ですが、自分でこのテーマを突き詰めることも、また、楽しくて仕方がなかったのです。

考えた末、ワタシは言いました。

「僕は、”心の哲学”(行為の哲学)をやりたいんです。」

「別の大学院に行きます。」

先生は、心の底からがっかりされたと思います。僕も、たいへんお世話になってきた先生に不義理なことをしてしまったと思います。

でも、自分のやりたいことを、やりたかったんです。

7. 入試に向け、受験勉強へ

先生から、「これで私のお役目を終わりでしょうか。」と皮肉めいたことを言われながらも、

先生はきちんと、ワタシの次に行くべき場所を教えてくださいました(先生には、今でも本当に感謝しており、頭が上がりません。)

それが、東京大学の大学院です。

とはいえ、東京大学の大学院にいきなり入学できるはずもありません。しかも、博士課程はおろか、修士課程にさえ入ることもできません。

2013年、1年目は研究生(非正規の見習いのようなもの)として授業に参加しながらも、受験勉強をし、

2013年8月にある入学試験に向け、必死に勉強しました。

新たな環境に全く慣れず、
そして、やはり東大の名前の通り、
ずば抜けて頭の良い学生たちのなかで、
年上でしかも他大学の修士課程を出ているはずのワタシが「全然使い物にならない」ことを思い知らされました。

口を開く自信を失い、
表情も暗くなり、
声も小さくなり、

このとき、ストレスで、髪の毛が7箇所ハゲるという出来事も起こりました。

でも、そんななかで支えられたのは、
やはりRAPでした。

不思議なものです。
最悪の状況だというのに、

こんなときに限って、RAPの方はうまくいくのです。

戦極MCバトル 第6章で、80人近いエントリーのなか、ベスト8に入ったのもこの時期でした。しかも、その動画が公開されると、イッキに数万回再生され、
これまでMCバトルで「うまい」とか「強い」
とか「格好良い」とか言われず、それほど注目されなかった自分のことを
「ゆうまのRAP好きです」と言ってくれる人がどんどん増えてきたのです。
(逆に、いわゆる”アンチ”も沢山ついてきましたが、それもまた、自分が以前より有名になっている証拠だと思い、嬉しく思いました。)

また、この時期に、初めて自分の曲のミュージックビデオがupされました。

今でこそ、MVをミュージックビデオにupするなど、誰でもできることだけど、2013年当時は、今ほどみんなができていることではなかったし、何より、自分のMVができたことに、本当に満足していました。

さらに、当時渋谷familyで行っていた自分の主催イベントVIBESの方も、毎回たくさんのお客さんが遊びに来てくれていて、かなりいい方向に行っていました。

さらに大事件だったのは、ワタシが中学生の頃から最も尊敬しているHIPHOPグループ、KICK THE CAN CREWMCUさんと、プライベートで飲みに連れていっていただけるという!!とんでもない出来事が起こったことです。twitterを通して、僕の出ていたミュージックビデオをMCUさんに見ていただけて、誘ってくださったのです。僕はほんとうにKICKの大ファンで、NHKホールや、横浜アリーナといった舞台で、10回以上、遠くから眺めていた身からすると、こんなことが起こることにびっくりしていました。


このようにして、音楽に支えられたおかげです、気持ちの面でも何とか受験勉強が続けられ、
8月の入学試験にも、合格させていただきました。

受験の後、入学までの半年間は、これまで少々精神的に負荷をかけすぎていたので、

アルバイトはしていましたが、
大学院に行く回数を減らして、
とにかくやりたいことをやっていました。

(この時期から、僕のグループ飛ぶ教室の1stアルバムの全国発売とワンマンライブに向けた準備を始めていました)

このようにして、2014年4月、東京大学 大学院の修士課程に入学することになります。


入学後は、 
受験勉強のときと、
法政大学大学院のときの、
大学院生活でのリズムに身体が慣れていたこともあり、

アルバイト
研究
RAP

これらをうまく両立できるようになっていたなぁと思います。


8. そして今にいたる

このようにして2016年現在は、 

ラッパーとして2ndアルバム制作をしつつ(完成間近!)MCバトル優勝を目指して練習会を主催しつつ、YouTuber1年生として動画制作をしながら、

東京大学 大学院 博士課程の1年生として、研究、論文執筆、研究会参加や学会発表を行っている、さらなる研究者の高み目指してる

そんな生活です。  
(ちなみに、研究テーマは、関心が変わって、当初のものとは少々異なっています。これについてはまたいつか)

これまでのことが実を結び、現在は、お陰様で、アルバイトをせずに生活ができるようになったため、RAPにしろ研究にしろ、やりたいことに時間を使えるようなりました。

そういえば法政大学大学院にいたころ、ゼミの先生に、RAPについての目標の話をしたところ、

「じゃあ、将来は”歌って踊れる哲学者”だな」と言われたことがありました。

”歌って踊れる”という言葉選びは失礼ながら、ちょっとダサいなと思いましたが、

”歌って踊れる哲学者”って素敵だな、と思い、せっかくなのでこれからも、それを目指したいと考えています。
(恥を忍んで言えば、日本初の大学教授ラッパーと言いたいのですが...)


長い長いブログに、なんと10000字になってしまいました。

退屈な箇所、イラッとする箇所も多々あったでしょうが、
これまでの内容に、嘘はひとつもありません。

YouTubeの広告に「好きなことで生きていく」なんて言葉がありますが、たいへんなことです。

好きなことで生きていく代償として、
「好きなことで生きていけない人たち」からの、冷たい視線は絶対に避けられません。

また、「好きなことで生きていく」ためには、
「好きなこと”だけで”生きていけない時間」を乗り越えなければなりません。

また、「好きなことで生きていく」ことができるようになったとしても、その時間はそんなに長くは続かないかもしれません(それがまさに今のワタシの置かれてる状況でしょう。)

話をいちばん最初に戻すと...

「大学院って、ぶっちゃけどんなとこ?」

その答えが意外と知られてなかったために、
文章化してみました。

前半は思い切り抽象的に書いたので、

後半は、思い切り自分の経験を包み隠さず書いてみました。

あくまで一例です。

だいたい、大学院生でラッパーの人なんてそとんどいないでしょう。

あと、せっかくなので、これは言っておこうかな。

大学の入学試験よりも、
大学院の入学試験のほうが、何万倍も簡単です。

はっきり言います。
ワタシは、東京大学の入試問題なんて、ほとんど解けないと思います。たぶんE判定か、判定不可というほどです。

でも、東京大学 大学院の、ある専門分野の入試問題だったら、できはあんまり良くなくても、まあまあ解ける、というのは事実だと思います。

どういうことか?

大学院の入試問題は、どれだけ自分の専門について詳しいか、です。
だから、自分のやりたい研究がはっきりしていて、その分野に関してマニアになれば、合格の可能性が高いということです。(あとは英語をきちんとやればOK)

大学院進学を考えていらっしゃる方はご参考までに。ワタシなんかでよければ、相談にのりますよ笑

あとは何度も言いますが、大学院は本気で研究をする場所。「自分のやりたい研究」があるのなら、そして「マジでやりたい」なら、そこは最高の場所です(逆に言えば、そうでない人には最低の場所です。やめたほうがいいです)

最後になりますが、このブログには本音を書きすぎましたので、

もし仮に、ワタシのお世話になった(現在とお世話になっている)大学院の先生や、大学院の知り合いが読んでいたら、恥ずかしいし、失礼なことも書いてしまったなぁと思うのですが...

本音を隠して建前だけで生きているのはもっと失礼かなぁと思いますので、ワタシなりに、このタイミングだ書かせていただきました。

敬意と、感謝の気持ちは忘れていません。

今の自分がいるのは、お世話になった皆様、お世話になっている皆様のおかげです。

10000字以上のブログを読んでくださって、ありがとうございました。

ゆうま